三条市の人気ラーメン店「福楽」さんにお邪魔した際、
ずっとナット・キング・コールの歌が流れていました。
こちらの店主さん、以前はバーテンダーだったそうで、
若い頃からナット・キング・コールの大ファンだっと教えてくれました。
ラーメンの写真で釣っておいて・・・・・
今日はラーメンの話ではありません。
もし、偉大なるミュージシャン「ナット・キング・コール」が
存在していなかったら・・・・・・
このお二人もこの世に名を残す事は無かったかも・・・・・
ちょっと大げさですが、今日はそんなお話し。
Nat King Cole
1919年3月17日 - 1965年2月15日
アメリカを代表するボーカリスト・ジャズ・ピアニストです。
45歳で肺がんで亡くなるまで、キャピトル・レコードから
『スターダスト』『ブリテンド』『ラヴ』『モナリザ』等、多数のヒット曲を放ちました。
黒人クルーナーを代表する歌手です。
日本でもとても人気が有りました。
一方、後に「ゴルゴ13」という劇画界を代表する大作を物にする
巨匠『さいとうたかを』さんは
1936年 和歌山県で生まれました。
中学時代から不良少年として地元では悪い意味で有名でした。
試験も一貫して「こんなもんただのクイズだ、試験でもなんでもない。
個人の能力がわかるはずがない」と白紙で出すありさま。
そんな時でした。ある一人の女性教師がさいとう少年の担任になりました。
先生の言う事を聞かないさいとう少年。先生は彼を自宅に呼びました。
「またお説教かよ」とふて腐れた表情で現れたさいとう少年を
先生は蓄音機のある部屋に呼び、座らせました。
「さいとう君、これから先生の大好きな、アメリカの黒人歌手の
ナット・キング・コールという人のレコードをかけるから聴いて」
外国映画に興味があったさいとう少年でしたが、ナット・キング・コールという
歌手も音楽聴いた事も無ければ見た事も無い状態。
全く余計なお世話と思いながらも
「先生は嫌な事が有ったり、悲しい事が有るとこの人のレコードを聴くのよ。
そうすると嫌な事も忘れて、心も穏やかになるの。さいとう君も聞けば
きっと優しい気持ちになれるわ」というと
当時『キング・レコード』から発売されていた
キャピトル・レコードの日本盤SPをかけました。
朝顔ラッパから聴こえてくるビロードの美しい声。
さいとう少年が今まで聴いた事も無い綺麗なメロディーと
コールの甘美な歌声に直ぐに引き込まれ、体験した事の無い
音楽からの衝撃と感動を受けました。
それからさいとう少年は先生の言う事は聴くようになり、
持ち合わせていた芸術への憧れが一気に加速します。
中学卒業後は理髪店でアルバイトをしながら
コールからの影響でアメリカの映画や音楽への傾倒が強くなっていたそうで、
その時出会ったアメリカの「10セント・コミックス」を見て
漫画家を志す決意を決めたようで、もし担任の先生が
あの時、ナット・キング・コールの音楽を聴かせてくれなければ
漫画家としての「さいとうたかを」は存在しなかったかもしれないと
語っていました。
ナット・キング・コールは昭和36年と38年に来日をしています。
36年は東京都赤坂に在った、高級キャバレー「ニューラテンクォーター」
{力道山が揉めたヤクザに刺された場所でも有名}で公演を行うが
チケットが高額すぎてお客が半分も来なかったそうです。
コールへのギャラは超高額。公演は大赤字で
招聘先の協同企画{現・キョードー東京}は倒産の危機までに追い込まれました。
38年、協同企画の永嶋社長にコール自ら
「先番の公演では貴方に莫大な赤字をもたらして悪かった。
今回は先回のギャラの半分以下で良いのでもう一度日本で公演をさせてほしいと嘆願。
場所も今は無き「東京サンケイ・ホール」等の主要コンサート会場で行ない、
どの会場も満員御礼の観客動員を誇りました。
協同企画はその後持ち直し、ビートルズの日本公演も手掛ける事になります。
今のキョードー・グループの礎ですね。
彼の大ファンで来日公演を鑑賞した、故・池内淳子さんと
宝塚の上月晃さんのエッセイが当時のベスト盤に載っています。
昔のレコードは高額でしたが豪華でした。
さいとうたかをさんもこの時、コンサートを鑑賞されていて
忘れられない公演だったと述べていました。
それから数年後にコールは45歳と言う若さで亡くなりますが
さいとうたかをさんは劇画作家として大活躍されるのは
皆さんご存じの通りです。
最後にナット・キング・コールの微笑ましいエピソードを一つ。
歌いながらピアノを弾き、ベースとギターと言うトリオで
活動していたコールの当時の最大のライバルは?????
実はあのピアノの巨匠「オスカー・ピーターソン」でした。
彼もまた歌いながらピアノを弾き、ベースとギターと言うトリオで
活動して、声も全く同じ様な美声でピアノも上手い。
ある日、二人は「このまま同じようなスタイルで
似た歌声で演奏していたら、どっちも飽きられて二人とも
人気が無くなる」と。そこで二人は競合しないよう
コールはソロ歌手として、ピアノトリオは辞める。
ピーターソンは歌は辞めて、ピアノトリオとして専念すると
取り決めしたそうです。
ピーターソンの美声 私は聴いた事が有りませんが
大変興味が有ります。
テクノロジーの進化の恩恵でしょぅか?
91年 愛娘『ナタリー・コール』が父親と仮想デュエットを
発表し、当時話題になりました。素晴らしいですね。
やはりこのようなしっとりとしたバラードで
歌手ナット・キング・コールの真髄が発揮されると思います。
これは珍しい録音。2度目の63年の来日時の日本人の大歓迎ぶりに
深く感激したコールは親日家となりました。
翌年の64年に「ラヴ」と「枯葉」を何と日本語で録音しています。
日本語詩はあの『漣健児』氏。彼の弟さんは、当時東芝の
名物プロデューサとして大活躍されていたので
その辺りの縁も有っての事と推測されます。