夜勤時、通常朝の5時に仕事が終わり、6時前には自宅に着きます。
朝刊は届いていますし、丁度家族が起き始める頃、お風呂に入り、
風呂上りに鍋を作って、お酒を飲んで
娘が「おはよう」と起きる頃「おやすみ」と言って寝ます。
大概3時間もしないで目が覚めます。眠いですが、このまま寝ると
夕方になってしまう、勿体無い。しかし、酒も抜けきれず
居眠り運転も予想されますので外出はせず、嫁が頼んでくれた
宅配弁当を食べながら録画しテレビを見たり、音楽を聴いたり
短い休日の「気分」だけは満喫します。
本当は沢山行きたいラーメン屋さん 挨拶したい食堂店主。
大好きな綺麗なお姉さんのいるお店に行きたいのですが
日中は難しくなりました。
夜勤明け、仕事中は「絶対 今日こそ亀田の朝っぱらラーメン食べに行くぞ」
「絶対 燕の込山食堂で朝ラー」と心に決めても
5時近くになると眠気もピークで運転も心配です。
寒い場所で仕事をしているので「鍋」が最高。
家族はもう起き始めるので気兼ねなくおふろにゆっくり浸かり
Fカップの巨乳アナ 加藤綾子さんの笑顔見ながら
食べる鍋は最高です。
アサヒビールより第3のビールとして「野球観戦にぴったり」という
お酒が発売されたので買ってみました。
この雪が降る時期に「野球観戦??」
♪ 野球 すーるなら こういう具合にしやさんせ アウト・セーフ
ヨヨイノヨイ♪と野球拳観戦の間違いですか?
季節感が無くなった日本と言っても、ちょっとこれは勇み足じゃないかしら?
個人的にはストリップショー観戦のビールの方が
盛り上がるのですが?????
ストリップと言ったら、バブル真っ只中、当時勤めていた会社には
沢山の系列会社が有って、その中の3社合同で
月岡温泉「ホテル泉慶」で忘年会を行なった事が有ります。
系列会社に、電気屋さんで一緒だった同じ年の女性が居て
4年ぶりに再会し、デュエットしたのも覚えていますが、今どうしているのかな?
豪華な食事の後、誰かは忘れましたがディナーショーも観覧。
その後、女子従業員も含め、全員で近くのストリップ劇場に行きました。
髪金の外人の綺麗な全身網タイツのお姉さんがショーの後、お客さんの所まで
やって来て、「手揉みサービス」をさせてくれる時間が有りました。
女性の皆さんも「私より大きい」「柔らかい」だのキャッキャッ言いながら
揉んでいました。男性より他の女性のおっぱいを揉む機会は少ないので
男性より喜んでいました。
私の番に来たら、髪金のお姉さんは私に向って「かわいい」と言い
熱いキスをしてくれました。私だけの大サービス。
他の男性陣にとても羨ましがられましたが
以来、外人さんとは縁はありません。
その後、日本の老舗というような熟女さんの
JACも真っ青な忍術のようなショー ここでは絶対書けません。
ヤジと怒号飛びかう中の真剣勝負のショー
その最中、どこかの若い女性が客席で自ら服を脱ぎ始め
会場から一斉に「脱げ脱げ」コールが連呼されましたが
別の女性に止められて脱ぐのを辞めました。
新潟では壊滅したストリップ小屋ですが、とても日本の芸能とは
縁が深い場所で、浅草のストリップ劇場では
女性の裸見たさで来ているお客さんの怒りを買わず
笑いを取るため、前座として多くの若手芸人が汗と悔し涙を呑んでいます。
コント55の萩本欽一・坂上二郎 御両人もそうですし
ビートたけしさん 古くは渥美清さん 東八郎さん
一発芸では終われない、スケベなお客との丁々発止
彼らはそこで鍛えられ、芸人として研ぎ澄まされた感性を
身につけ、アドリブの会得したのです。
またまた関係の無い
たわいのないお話しすみません。
食事しながら、東映の「博徒対テキ屋」という任侠映画を見ていました。
昭和39年12月24日公開の「オールスター正月映画です」
配役が豪華です。主役は鶴田浩二さん。
丹波哲郎 松方弘樹 大木実 島倉千代子 藤山寛美 藤純子
そして、松方弘樹さんの父上で、長岡市出身の剣豪スターだった
近衛十四郎さんが極悪ヤクザの親分、そして善の大親分として
片岡千恵蔵さんが特別出演しています。
若い綺麗な女郎に声をかけられ、部屋に入ったらおばさんだったと
金を返せとヤクザに絡む、藤山寛美さんのアドリブ満載の
セリフに、助けに入った鶴田浩二も笑いを堪えるのに必死と言った表情です。
昔の芸人さん 皆さんお芝居が上手です。
鶴田浩二は藤山寛美に「このままだと追い越されてしまう」と
嫉妬心を抱き、撮影以外は藤山寛美を無視したらしいです。
それが良いとか悪いじゃくて このアホさ加減は
どうしてできるのか? 上手いというしかありません。
美味しい物食べて 売り上げの順位を予想しているだけ、
皆で手を叩いて会場を盛り上げる様な芸人さんばかりで
テレビもつまらないので、昔の邦画がしっくりします。
そこには人の強さ 弱さ ずるさ 美しさ 笑い 涙
沢山の物が詰まっているように思います。
それから、大島渚監督が居なかったら「仁義なき戦い」も
生まれませんでした。
語られませんが、現場での大島監督のヤクザ映画待望論も
経営側から「大島の映画は金にならない」と拒絶され
実現されませんでした。
昭和37年 一度東映で「天草四郎時貞」を大川橋蔵主演で
撮影しているが、結果は大惨敗でした。
上映を打ち切った小屋も相当あったそうです。
共演の大友柳太朗と殺陣や戦いは無で、永遠と二人でディスカッションをしている
だけの映画で、東映時代劇ファンから大ヒンシュクを買った過去が有るからです。
「仁義なき戦い」の脚本を担当した笠原和夫は大島監督で
神風特攻隊の生みの親『大西瀧治郎』を鶴田浩二で
当時の日本俳優陣総動員で脚本を書くも会社に拒否され
信頼を置いていた山下耕作に監督を委ねたが、笠原が望むものとは
大きくかけ離れた、笠原を失望させる映画に終わった。
大島渚から強い影響を受けていた深作欣二監督は、
「仁義なき戦い」公開時に大絶賛してくれた大島監督に敬意を表すため
笠原に「監督として駄目なら俳優として起用しよう」と提案。
二人が手掛けた「仁義の墓場 くちなしの花」{渡哲也 主演}に
警察署所長役の俳優として大島を起用した。
なんとも良い話しである。
眠いとついハイテンションになるのが不思議。
また皆さんを余計な世界に引き込んで、貴重な時間を
無駄にさせてしまって申し訳ありません。
大島監督の私的論がかけて良かったです。
これから大島さんが監督されたアニメ「サスケ」あの
白圡三平さんの漫画のアニメですよ。
だから大島監督は「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」だけじゃないと
言いたかっただけです。御冥福をお祈りいたします。