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フィルム映画の終焉

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月影の宵/IN THE EVENING BY THE MOONLIGHT
月影の宵/IN THE EVENING BY THE MOONLIGHT


唯一、国産で映画用フィルムの製造をしていた「富士フィルム」が
映画用のフィルムの製造を中止する事を発表した。

国内の映画館は、ほぼ「シネコン」の業態が支流で
DVDやデジタル配信される映像をアルバイトがセットして
時間になったら流すのが普通で、昔みたいに映写技師が
何本ものフィルムを2台の映写機にセットして、フィルムの上映を
する事は殆ど無くなった。

ずっとフィルムで映画を取り続けて来た山田洋次監督は
「本当に残念」
北野武監督は「デジタルなんて、インスタント食品の様なもの」と
落胆の様子を隠しきれない。

最近俳優を引退された、菅原文太さんは公私で色々な問題が
発生し、今までのような意欲的な仕事をする力が無くなっていたようだが
今回、真っ先に理由としてあげたのが「デジタルの映画撮影システムの現場が
俺には合わない」と仰っていた。

そもそも、フィルム撮影では現像処理が済むまで実際の映像は確認できない。
その現像されたフィルムを「ラッシュ」と呼んで、
監督がOKしたシーンを編集担当がフィルムをつなぎ合わせ
原版フィルムを作成する。この段階でまだ音の確認も出来ていない。
その後に音声と同期させ、必要ならアフレコで入れ直し、
音楽を作る作曲家はそのラッシュのフィルムを見ながら
カット事の時間を測りながら作曲し、出来あがったフィルムをスクリーンに映しながら
演奏者が音入れをするという、手間のかかった作業工程が必要だった。

全盛期の日本映画は各社、週2本封切り。
週替わりの興業で、人気スターは年間10本以上の映画に出演した。

テレビ全盛になり、邦画も以前のようにオールナイトで
鑑賞し、スクリーンのヒーローに拍手喝さいを送る事も無くなったが
それでも映画はフィルムで丁重に、それそれの職人が
魂を込めて映画作りに携わっていた。

生前、山城新吾さんが「今、ドラマでNG場面流して
皆で笑って、大賞なんか言ってる 馬鹿げてるね
我々の頃、NGなんか出したら監督や進行主任から
新吾 お前どれだけフィルム無駄にしたら気が済むんや!
また俺が始末書書かされるんぞ、怒られたもんですけどね」

デジタルの場合は、撮影後、その場で映像と音が確認し
監督と俳優が「ここはもっとこうして ああして」と
再度ディスカッションをして、気に入らない場合は即座に
取り直しても時間以外は何も無駄にはならない。
しかし、フィルムの場合はNGとなったフィルムは廃棄処分となるため
監督やスタッフは、決められた予算内で完成させる事に
神経を尖らせた。またその雰囲気も良い映画作りの
一因になっていたのは間違いない。

山下耕作監督、高倉健主演の映画でこんなエピソードが
残っている。

最後のクライマックス、山下監督が溜息が出るような
見事な演技をし、「OK 健さん 今のは最高 ホントに良かった」
健さんもにっこり微笑んで満足していた。
しかし、カメラマンが「監督 すまん フィルム切れた」
その言葉を聴いて、流石の健さんも、むくれてスタジオから出て行ったという。
どうやら、それ以前のシーンでフィルを使い過ぎたのが原因だった。
デジタルならそんな事も無いだろうが、
それほど当時の撮影現場は過酷で真剣な、歩いてる人は
誰もいなかったという位の活気 まさに戦場でもあった。

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フィルム時代の大女優の最後とも言えるのが『夏目雅子』さんだろか?
当時、事件を起こし干されていた『五社英雄』を親友の
東映出身の監督『佐藤純弥』が東映の岡田茂社長に引き合わせ
「彼に映画を取らせてやってくれ」と頼んだ。

岡田は五社に「どんな映画を撮りたいのか」と尋ねると
「宮尾登美子さんの作品を作りたい」と申し出た。
江戸時代、ヤクザが一目を置いて手出ししなかった「火消し」の
子供として生まれた五社と、侠気溢れる「鬼龍院政五郎」の
組み合わせに「イケル」と確信した岡田は五社に
「暗い作品だけにはしてくれるな」と忠告して、制作に入った。

当初「松恵」役に『大竹しのぶ』がキャスティングされたが
結果、五社の意向と沿う物で無く早くも中止となり
代わりの女優探しに奔走して、やっと見つけたのが「文学座」の女優
夏目雅子だった。既に女優として成功していた夏目だったが
スタッフはオールヌードの体当たりのシーンに難色を示すと
考えていたため、乳房のシーンは代役で撮影する事に決めていた。
しかし他の出演者の女優さんが何人か脱いでいるのに、
自分だけ脱がないのはおかしい。私も脱いで演技します」
事務所側は清純なイメージの夏目の印象が悪くなると
強固に反対したが、夏目の熱意に圧倒され、

結果「なめたらあかんぜよ」と名セリフとともに
映画は11億の興業収入を得る大ヒットなった。
しかし、この映画の3年後、夏目は急性骨髄性白血病で
27歳という若さでこの世を去った。

北野武監督の言う「インスタント食品」
とても的を得た一言だと思う。
私のつたない文面で皆さまにどれ位フィルム映画が
出来るまでの苦労や現場の過酷な状況が伝わったのか
解らないですが、画面から全スタッフの熱意
映画館の熱気 全てが懐かしく、そしてもうこのような
映画システムが終焉する事に邦画ファンとして
とても悲しくなる思いが募ります。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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