●開演時間
昼の部/開演:13:30
夜の部/開演:17:30
●出演者
小林旭、島倉千代子、松方弘樹、黛ジュン、チェリッシュ、
三善英史、加藤久仁彦(狩人)、高道(狩人)、保科有里
行ってきました、長岡市立劇場で開催された「夢コンサート」
招待客は3階席で、2000円払うと良い席に移動できるらしいですが
3階で見る事にしました。
やはり年配のお客さんが多いですね。
長岡市立劇場、開館した48年頃、両親と布施明のコンサートに行った以来
40年ぶりでしょうか?
しかし、当日券と招待券の引き換えを担当していた男性が
別の男性スタッフにいきなり「テメー 何やってんだ
お客そこから入れんなよ ふざけんなよ バカヤロー」と
いきなり怒鳴り始め、お客さん達も顔をひきつらせていました。
ちょっと有り得ない対応ですね。残念に思いました。
席は3階前列、一番右の、らくらくのんびりした良い席でした。
開演前のブザーが鳴り、客席が暗くなると緊張と期待で胸が高まります。
コンサートの醍醐味。
演奏は7人編成。ドラム・ベース・サックス・トランペット
ギター・ピアノ・シンセサイザーの7人+女性コーラスの1名。
13時30分 丁度に開演。
流れてきましたよ 『あずさ2号』のイントロが・・・・・・・
狩人
素晴らしい声量 そして二人とも若くてイケメン
生の「あずさ2号」残念ながら1コーラス、サビ2回。
彼ら、トークも素晴らしい。
久仁彦
「僕たち、二人兄弟と思われていますが、僕たちの上に
3人居る5人兄弟なんです。一番上が姉で、兄も二人いる」
高道
「一番上の兄と僕は20歳年が離れているんですよ。
20年かけて僕ら生んでくれたんです。凄いですよね」
久仁彦
「あの頃は娯楽が無かったからね」
デビュー当時、二人兄弟のデュオとして売り出すために
最近まで秘密にしていそうです。知らなかったですね。
その後『国道ささめ雪』を熱唱し、「この曲で2回目の紅白に出場しましたが
以来、辞退させていただいています」と笑いを誘い
『コスモス街道』を熱唱。
洗練された嫌みの無い大人の魅力。
本当に仲が悪いの?しかし、やはりプロの歌は違いますね。
幾らカラオケチャンピオンが束になっても敵わないと思います。
「狩人」カッコ良かったです。
保科有里
次は保科有里さん、ジャージーで吐息が切ない「赤い爪」
色気漂う、大人の女性歌手。フィーリンクが抜群。
「皆さん、誰この子?ってな顔されてますが、
20年間 全くヒット曲もなしに歌っております保科有里と申します。
金沢でOLをやっていましたが、歌への夢は諦めていませんでした。
そんな時、三木たかし先生と出会う事が出来、3年間、先生の
運転手とカバン持ちをさせていただきました。
先生が作曲された『さくらの花よ 泣きなさい』歌わせていただきます。
歌の表現力は並々ならぬものがある実力派です。
すっかり魅了されてしまいました。
伸びのある声、何より歌に魂が宿っています。頑張ってください。
三善英史
♪雨に 濡れながら ♪
大ヒット曲『雨』で登場した三善英史さん。
着物姿です。彼のトーク、以外に面白かったです。
「長岡に来る事を楽しみにしていました。祖母が長岡出身なんです」
会場から大拍手です。
「皆さんのお顔、拝見したいんですが、僕の曲は暗いので
他の方より照明が暗くて全く見えません。
よーく見ると、皆さん美男美女ですね。昨日の新潟のお客さんは酷かった」
9年間、母親の介護をされ、その手記が読売新聞に連載され
介護の先生のアドバイスも掲載した本が一冊になったと
母親の介護は楽しかった 幸せだったと、その時の思い出を
歌にした『母さんの涙歌{えんか}』を披露し
「最近、色んな人に年とったなと言われますが
僕だってもう58歳です。当たり前です でも、この前、大阪のコンサートの時
ロビーでCD販売していた時、僕より年上の男性から
年とったなと言われた時は愕然と来ましたよ」
最後に初の紅白出場時に歌った名曲『円山・花町・母の町』を
情感たっぷりに歌い上げてくれました。
黛ジュン
一転して激しいドラムのイントロに載って、銀のピカピカ眩しい
衣装を身にまとい登場したのが「黛ジュン」さん。
『恋のハレルヤ』しかし、原因不明の喉の病気をされたと聞いていましたが
往年の伸びとパンチのある歌声は聞けず、高いキーの部分は苦しそうでしたが
それでも元気な姿でファンとしては嬉しかったです。
2曲目に歌う『土曜の夜何かが起きる』のコーラス指導の後
イントロが流れると舞台袖に引っ込み、数秒後、なんと往年の
青いミニスカ姿で登場。会場の皆さんと歌いながら
ダンスも披露してくれました。和物ファンクの元祖の曲。
「恋のハレルヤ 歌っていた時は19歳、あれから46年よ。
足せば解るわよね ロクゴーよ」
客席から「昔と変わらない」と言われると「ありがとう でも
変わらないわけないでしょ ロクゴーよ」
また客席から「脚が綺麗」と言われると「脚だけ?顔は?」
会場も大爆笑。
「皆さん 黛ジュンはいつ『天使の誘惑』歌うのかなと思っているでしょ?
何時歌うの?今でしょ?」
私の生まれた昭和43年のレコード大賞受賞曲。
印象的なスチールギター風のシンセサイザーの響きに乗せて
今度は赤いミニスカ姿で登場し、客席も拍手喝さい。
楽しかったです。
ゴールデン・カップスは彼女がスカウトしたんですよね。
ドラムのマモル・マヌーさんとジュンさんは一時恋人同士でありました。
願わくば、実兄、故・三木たかしさんが作曲された「夕月」も歌ってほしかった。
三木たかしのお弟子さん、保科有里さんも感無量なのでは。
変わらぬスタイル 美しかったです。大満足です。
チェリッシュ
あのドラム三連打の印象的なイントロの『てんとう虫のサンバ』の
軽快なリズムに乗せて、お二人が登場。
エッチャンも高いキーでは苦しそうです。
旦那さんの松崎好孝さんが「僕たち、最初は5人組のグループサウンズ
だったんです。僕がリーダーで。でも一人抜け 二人抜け、
結局僕とエッチャンの二人になってしまって、職場恋愛 職場結婚しました。
良く言われます、そんなに一緒に居て飽きませんか?って。
僕たち二人にはルールがあって決めごとはきっちり守っています。
グループではリーダーでしたが、今は仕事も夫婦生活も
エッチャンがリーダーです。彼女が居なければチェリッシュの歌は
成立しません」
「そうね、松崎君の声もちょびっとあったほうがいいわね」
「はい もう仕事も生活もちょびっとだけやってます」
「夫婦って凄いです。世界中に何十億の人が居るのに
その中で出会って それを歌にしてみました、新曲です」と
『何十億のキセキ』そして代表曲『白いギター』
仲睦まじいお二人でした。
因みに松崎好孝さんは無類のカーマニアでフェラーリーを
何台も所有しているんですよね。
松方弘樹
長岡市出身の名優「近衛十四郎」を父に持つ松方弘樹さん。
流石に観客も熱狂的に歓迎となりました。
登場するやいなや、松方さん、Hな腰突きを連発し、マダムが
「いやだ~」と言いながら拍手喝さい。
「長岡の皆さん、近衛十四郎の息子、松方でございます」
大歓声と拍手の渦です。
「親父は15歳まで西新町に住んでいたんです。親戚も大勢居ます。
中々あう機会はありませんが、僕も疎開中は西新町に住んでいました。
今と違って雪が凄かった。親父は40歳くらいまで仕出しや
通行人などやって苦労して大器晩成な人でした。
「柳生武芸帳」や「素浪人 花山大吉」等皆さん贔屓にしてくれました。
いや~僕は見た目若く見えますが、もうガタガタですよ」
と言うと、ステージと客席の間の階段に座り
父親と長岡の話しをされました。
2曲目のイントロが流れるとそのまま客席に降り
観客と握手。3階席まで来てくれて、私も自ら松方さんの元に行き
握手させてもらいました。
殺陣と釣、女性の乳房を揉みまくった手は硬いと思ったら
意外と小さくて柔らかくしなやかでした。
圧倒的なオーラでしたね。観客もマダムも濡れたと思います。
その後も通路に人が溢れステージに戻れなくなったり
トイレに立つお客さんに「おしっこですか?我慢しないでごゆっくり
なんなら終わるまで待ってますよ」と笑わせてくれます。
「若い頃は粗相ばかりして申し訳ありません。
最初の妻はナツコ 次がアキコ 皆私の粗相が原因。
しかし、まだハルコとフユコとは結婚してません」
最後に「遠山の金さん」のエンディング曲を歌って
いや~大爆笑。益々松方さんが好きになりました。
島倉千代子
『からたち日記』『東京だよおっ母さん』『この世の花』
『人生いろいろ』その他にもヒット曲を歌ってくれたおチヨさん。
しかし本人自ら「本物です」が虚しい位、なにか声もガラガラで
力も無く、あの色気 おチヨさんらしい格式、皆無で
本当に別人のようで残念。
後に登場する小林旭さんも「おチヨさん 久しぶりにあったら
すっかり老けこんでびっくりしたよ。おチヨさんも
キャリア長いけど、もっと先輩の人も頑張ってるんだから
元気出してほしいよ」とその旭さんの言葉に象徴されていました。
小林旭
『ダイナマイトが百五十屯』のイントロに黄色のシャツ
黄色のジャンプスーツで登場した小林旭さん。
押しも押されぬ日本映画黄金期の大スターです。
圧倒的な声量、会場が揺れる位の迫力。
話しはやはり日本映画黄金期のエピソードです。
「昔は各映画会社に2大スターってのが居たんです。
大映は勝新太郎 市川雷蔵 東宝は三船敏郎 鶴田浩二
松竹は佐田啓二 高橋貞二 東映は中村錦之助 東千代之介
そして日活は石原裕次郎 小林旭」
大拍手です。
「昔は皆会社の看板しょて、ライバルでしたが
銀座に飲みに行くとバッタリ会って良く飲んでました。
勝新さんは『いいな アキラ お前はヒット曲沢山あって。
俺なんかこれ(座頭市の真似)ばっかりやらせられる。
鶴田浩二さんなんか「オイ オキラ お前あの女優には気を付けろよ
先に俺が手を付けた女だぞって 本当に俺は鶴田さんだけには
敵わなかったですよ、 皆良き先輩ですよ。良い時代でした。
旭さん、東映東京の撮影所に初めて遊びに行って
女優をナンパしてたら、鶴田さんに見つかって
『他所者がチャラチャラしてんじゃねーぞ』と殴られたんですよね。
「それから辰巳柳太郎の兄貴、島田正吾先生からは舞台の大切さ
役者の使命を叩きこまれました。
アキ坊、俳優は舞台で死ねたら最高だ、舞台で死ぬ覚悟で
演技するんだ。だから俺は島田の兄貴に、こんな舞台から
客席に落ちたって死なないよ 俺は映画で何百メートルから
落ちる演技を何時もやっているんだよ、と言ったら怒られてね。
舞台を甘く見ていると。舞台と客席を仕切りからして
そこは生と死の境界線であって役者はそこで何時でも死ぬ覚悟で
芝居に取り組むんだと、ホント俺は良い先輩に可愛がって貰いました」
それからもいろんなエピソードを披露してくれて、
長岡の銀山平でロケをした際、50メートル位の高さの
クレーンから相手役の青木義郎を落とすシーンが合って
当然人形ですよ。40キロ位の。ピアノ線に引っ掛けてあって、
僕はクレーンの手すりに掴まって、監督の指示を待っていた。
それで赤い旗が振られ、本番となって、助監督が
ピアノ線を切って、そしたら人形が倍以上の重さになって
カタンと音がしたんですよ。それで人形を落としてOKとなって
おかしいなと、曲がったのかなと手すりを見たら、
溶接が周りしかしてなくて、剥がれる寸前だった。
もう少し遅かったら落下して死んでました。
つい最近まで、寝ていると今までの怖い体験の夢を見て
ワッと起きる事が沢山あった。つい最近まで。
僕もあの頃、お金を持って映画館に来てくれるお客さんの
期待に応えようと危ない事沢山しました。
撮影中に死ねたら役者として本望だなって。
でも、そんな夢を最近まで良く見ていたのも事実です。
あの頃、映画って量産していて、いい加減な内容が多かったですよ。
例えば『渡り鳥シリーズ』ね。
浅岡ルリ子の父親が金子信雄に借金してるわけですよ。
金子信雄の配下の取り立てが強引で、ルリ子が金子のところに入って
「もう少し待ってください」と泣きつく、そうすると金子信雄が
鼻の下長くして「お前が俺の言う事聞けば無かった事にとてやる」と
ルリ子に抱きつく。ルリ子は必死に抵抗する。すると遠くから
♪赤い夕陽よ燃えおちて ♪と音楽が流れて俺が登場するんですよ。
金子は配下を呼んで殺せと言う、しかし配下の奴ら、俺の歌が
終わるまで構えたまま歌い終わるのを待っている。
歌い終わると喧嘩のシーン 有り得ないですよね。
時代が良かった。地方にロケに行くと、祭りの季節でも無いのに
祭保存会、地元の方が協力して盛大に祭りを開催してくれて
人が集まり過ぎて商店街のアーケードが壊れたり
沢山ご迷惑おかけしましたが、皆さんに支えられてここまで来れました。
心より御礼申し上げます。」
勿論大歓声と拍手喝さい。
「しかしね、俺はどうしても納得できなかったのが
日活の社長の方針。裕次郎には映画の中で恋をさせろ。
だからいつも裕次郎の映画の最後、マコちゃんとか出てきて
♪夜霧よ 今夜も ありがとう♪ 女と抱きあう。
しかしだ、旭には恋をさせるなですよ。
いつもルリ子に『さよなら 元気で』て馬に乗って去っていく。
俺も映画の中でルリ子抱きたかったよ。勿体無いことしたよな」
浅岡ルリ子さんは石原裕次郎に憧れ、日活に入社。
しかし、裕次郎には北原三枝という恋人が居る事をしって愕然とする。
その直後に共演した小林旭と恋に落ち、ルリ子の初体験は
旭さんだったのは有名。
その後、会社に交際を止める様言われ、旭さんは
山口組三代目の田岡組長に「ひばりと結婚してやってくれ」との申し出に
日本一の親分にそこまで言われたのならと快諾し
ひばりさんと結婚。ルリ子さんは有名監督との不倫などの後
石坂浩二さんと結婚。共に後に離婚しています。
秋には50年ぶりにこの「夢コンサート」で共演するそうです。
その後「民謡メドレー」「昔の名前で出ています」
そして最後に「熱き心に」を熱唱し、出演者全員が
ステージに登場。旭さんが一人一人出演者に感想を聞いて
予定より50分遅い16時20分にコンサートは終了。
感動と笑い 熱唱 これぞエンターティナーと言うべき
ショーの醍醐味を心ゆくまで堪能させていただきました。
最後の旭さんと松方さんのツーショット。
東映映画「実録外電・大阪電撃作戦」を思い出しました。
またまた たまたま 金玉のように光輝く記事ではなく
私の記憶を基に再構成させていただきましたが
内容には間違いないと確信しております。
最後まで読んでくださった 貴方!貴方こそ
月影の一番の読者様であります。感謝!!
完
招待客は3階席で、2000円払うと良い席に移動できるらしいですが
3階で見る事にしました。
やはり年配のお客さんが多いですね。
長岡市立劇場、開館した48年頃、両親と布施明のコンサートに行った以来
40年ぶりでしょうか?
しかし、当日券と招待券の引き換えを担当していた男性が
別の男性スタッフにいきなり「テメー 何やってんだ
お客そこから入れんなよ ふざけんなよ バカヤロー」と
いきなり怒鳴り始め、お客さん達も顔をひきつらせていました。
ちょっと有り得ない対応ですね。残念に思いました。
席は3階前列、一番右の、らくらくのんびりした良い席でした。
開演前のブザーが鳴り、客席が暗くなると緊張と期待で胸が高まります。
コンサートの醍醐味。
演奏は7人編成。ドラム・ベース・サックス・トランペット
ギター・ピアノ・シンセサイザーの7人+女性コーラスの1名。
13時30分 丁度に開演。
流れてきましたよ 『あずさ2号』のイントロが・・・・・・・
狩人
素晴らしい声量 そして二人とも若くてイケメン
生の「あずさ2号」残念ながら1コーラス、サビ2回。
彼ら、トークも素晴らしい。
久仁彦
「僕たち、二人兄弟と思われていますが、僕たちの上に
3人居る5人兄弟なんです。一番上が姉で、兄も二人いる」
高道
「一番上の兄と僕は20歳年が離れているんですよ。
20年かけて僕ら生んでくれたんです。凄いですよね」
久仁彦
「あの頃は娯楽が無かったからね」
デビュー当時、二人兄弟のデュオとして売り出すために
最近まで秘密にしていそうです。知らなかったですね。
その後『国道ささめ雪』を熱唱し、「この曲で2回目の紅白に出場しましたが
以来、辞退させていただいています」と笑いを誘い
『コスモス街道』を熱唱。
洗練された嫌みの無い大人の魅力。
本当に仲が悪いの?しかし、やはりプロの歌は違いますね。
幾らカラオケチャンピオンが束になっても敵わないと思います。
「狩人」カッコ良かったです。
保科有里
次は保科有里さん、ジャージーで吐息が切ない「赤い爪」
色気漂う、大人の女性歌手。フィーリンクが抜群。
「皆さん、誰この子?ってな顔されてますが、
20年間 全くヒット曲もなしに歌っております保科有里と申します。
金沢でOLをやっていましたが、歌への夢は諦めていませんでした。
そんな時、三木たかし先生と出会う事が出来、3年間、先生の
運転手とカバン持ちをさせていただきました。
先生が作曲された『さくらの花よ 泣きなさい』歌わせていただきます。
歌の表現力は並々ならぬものがある実力派です。
すっかり魅了されてしまいました。
伸びのある声、何より歌に魂が宿っています。頑張ってください。
三善英史
♪雨に 濡れながら ♪
大ヒット曲『雨』で登場した三善英史さん。
着物姿です。彼のトーク、以外に面白かったです。
「長岡に来る事を楽しみにしていました。祖母が長岡出身なんです」
会場から大拍手です。
「皆さんのお顔、拝見したいんですが、僕の曲は暗いので
他の方より照明が暗くて全く見えません。
よーく見ると、皆さん美男美女ですね。昨日の新潟のお客さんは酷かった」
9年間、母親の介護をされ、その手記が読売新聞に連載され
介護の先生のアドバイスも掲載した本が一冊になったと
母親の介護は楽しかった 幸せだったと、その時の思い出を
歌にした『母さんの涙歌{えんか}』を披露し
「最近、色んな人に年とったなと言われますが
僕だってもう58歳です。当たり前です でも、この前、大阪のコンサートの時
ロビーでCD販売していた時、僕より年上の男性から
年とったなと言われた時は愕然と来ましたよ」
最後に初の紅白出場時に歌った名曲『円山・花町・母の町』を
情感たっぷりに歌い上げてくれました。
黛ジュン
一転して激しいドラムのイントロに載って、銀のピカピカ眩しい
衣装を身にまとい登場したのが「黛ジュン」さん。
『恋のハレルヤ』しかし、原因不明の喉の病気をされたと聞いていましたが
往年の伸びとパンチのある歌声は聞けず、高いキーの部分は苦しそうでしたが
それでも元気な姿でファンとしては嬉しかったです。
2曲目に歌う『土曜の夜何かが起きる』のコーラス指導の後
イントロが流れると舞台袖に引っ込み、数秒後、なんと往年の
青いミニスカ姿で登場。会場の皆さんと歌いながら
ダンスも披露してくれました。和物ファンクの元祖の曲。
「恋のハレルヤ 歌っていた時は19歳、あれから46年よ。
足せば解るわよね ロクゴーよ」
客席から「昔と変わらない」と言われると「ありがとう でも
変わらないわけないでしょ ロクゴーよ」
また客席から「脚が綺麗」と言われると「脚だけ?顔は?」
会場も大爆笑。
「皆さん 黛ジュンはいつ『天使の誘惑』歌うのかなと思っているでしょ?
何時歌うの?今でしょ?」
私の生まれた昭和43年のレコード大賞受賞曲。
印象的なスチールギター風のシンセサイザーの響きに乗せて
今度は赤いミニスカ姿で登場し、客席も拍手喝さい。
楽しかったです。
ゴールデン・カップスは彼女がスカウトしたんですよね。
ドラムのマモル・マヌーさんとジュンさんは一時恋人同士でありました。
願わくば、実兄、故・三木たかしさんが作曲された「夕月」も歌ってほしかった。
三木たかしのお弟子さん、保科有里さんも感無量なのでは。
変わらぬスタイル 美しかったです。大満足です。
チェリッシュ
あのドラム三連打の印象的なイントロの『てんとう虫のサンバ』の
軽快なリズムに乗せて、お二人が登場。
エッチャンも高いキーでは苦しそうです。
旦那さんの松崎好孝さんが「僕たち、最初は5人組のグループサウンズ
だったんです。僕がリーダーで。でも一人抜け 二人抜け、
結局僕とエッチャンの二人になってしまって、職場恋愛 職場結婚しました。
良く言われます、そんなに一緒に居て飽きませんか?って。
僕たち二人にはルールがあって決めごとはきっちり守っています。
グループではリーダーでしたが、今は仕事も夫婦生活も
エッチャンがリーダーです。彼女が居なければチェリッシュの歌は
成立しません」
「そうね、松崎君の声もちょびっとあったほうがいいわね」
「はい もう仕事も生活もちょびっとだけやってます」
「夫婦って凄いです。世界中に何十億の人が居るのに
その中で出会って それを歌にしてみました、新曲です」と
『何十億のキセキ』そして代表曲『白いギター』
仲睦まじいお二人でした。
因みに松崎好孝さんは無類のカーマニアでフェラーリーを
何台も所有しているんですよね。
松方弘樹
長岡市出身の名優「近衛十四郎」を父に持つ松方弘樹さん。
流石に観客も熱狂的に歓迎となりました。
登場するやいなや、松方さん、Hな腰突きを連発し、マダムが
「いやだ~」と言いながら拍手喝さい。
「長岡の皆さん、近衛十四郎の息子、松方でございます」
大歓声と拍手の渦です。
「親父は15歳まで西新町に住んでいたんです。親戚も大勢居ます。
中々あう機会はありませんが、僕も疎開中は西新町に住んでいました。
今と違って雪が凄かった。親父は40歳くらいまで仕出しや
通行人などやって苦労して大器晩成な人でした。
「柳生武芸帳」や「素浪人 花山大吉」等皆さん贔屓にしてくれました。
いや~僕は見た目若く見えますが、もうガタガタですよ」
と言うと、ステージと客席の間の階段に座り
父親と長岡の話しをされました。
2曲目のイントロが流れるとそのまま客席に降り
観客と握手。3階席まで来てくれて、私も自ら松方さんの元に行き
握手させてもらいました。
殺陣と釣、女性の乳房を揉みまくった手は硬いと思ったら
意外と小さくて柔らかくしなやかでした。
圧倒的なオーラでしたね。観客もマダムも濡れたと思います。
その後も通路に人が溢れステージに戻れなくなったり
トイレに立つお客さんに「おしっこですか?我慢しないでごゆっくり
なんなら終わるまで待ってますよ」と笑わせてくれます。
「若い頃は粗相ばかりして申し訳ありません。
最初の妻はナツコ 次がアキコ 皆私の粗相が原因。
しかし、まだハルコとフユコとは結婚してません」
最後に「遠山の金さん」のエンディング曲を歌って
いや~大爆笑。益々松方さんが好きになりました。
島倉千代子
『からたち日記』『東京だよおっ母さん』『この世の花』
『人生いろいろ』その他にもヒット曲を歌ってくれたおチヨさん。
しかし本人自ら「本物です」が虚しい位、なにか声もガラガラで
力も無く、あの色気 おチヨさんらしい格式、皆無で
本当に別人のようで残念。
後に登場する小林旭さんも「おチヨさん 久しぶりにあったら
すっかり老けこんでびっくりしたよ。おチヨさんも
キャリア長いけど、もっと先輩の人も頑張ってるんだから
元気出してほしいよ」とその旭さんの言葉に象徴されていました。
小林旭
『ダイナマイトが百五十屯』のイントロに黄色のシャツ
黄色のジャンプスーツで登場した小林旭さん。
押しも押されぬ日本映画黄金期の大スターです。
圧倒的な声量、会場が揺れる位の迫力。
話しはやはり日本映画黄金期のエピソードです。
「昔は各映画会社に2大スターってのが居たんです。
大映は勝新太郎 市川雷蔵 東宝は三船敏郎 鶴田浩二
松竹は佐田啓二 高橋貞二 東映は中村錦之助 東千代之介
そして日活は石原裕次郎 小林旭」
大拍手です。
「昔は皆会社の看板しょて、ライバルでしたが
銀座に飲みに行くとバッタリ会って良く飲んでました。
勝新さんは『いいな アキラ お前はヒット曲沢山あって。
俺なんかこれ(座頭市の真似)ばっかりやらせられる。
鶴田浩二さんなんか「オイ オキラ お前あの女優には気を付けろよ
先に俺が手を付けた女だぞって 本当に俺は鶴田さんだけには
敵わなかったですよ、 皆良き先輩ですよ。良い時代でした。
旭さん、東映東京の撮影所に初めて遊びに行って
女優をナンパしてたら、鶴田さんに見つかって
『他所者がチャラチャラしてんじゃねーぞ』と殴られたんですよね。
「それから辰巳柳太郎の兄貴、島田正吾先生からは舞台の大切さ
役者の使命を叩きこまれました。
アキ坊、俳優は舞台で死ねたら最高だ、舞台で死ぬ覚悟で
演技するんだ。だから俺は島田の兄貴に、こんな舞台から
客席に落ちたって死なないよ 俺は映画で何百メートルから
落ちる演技を何時もやっているんだよ、と言ったら怒られてね。
舞台を甘く見ていると。舞台と客席を仕切りからして
そこは生と死の境界線であって役者はそこで何時でも死ぬ覚悟で
芝居に取り組むんだと、ホント俺は良い先輩に可愛がって貰いました」
それからもいろんなエピソードを披露してくれて、
長岡の銀山平でロケをした際、50メートル位の高さの
クレーンから相手役の青木義郎を落とすシーンが合って
当然人形ですよ。40キロ位の。ピアノ線に引っ掛けてあって、
僕はクレーンの手すりに掴まって、監督の指示を待っていた。
それで赤い旗が振られ、本番となって、助監督が
ピアノ線を切って、そしたら人形が倍以上の重さになって
カタンと音がしたんですよ。それで人形を落としてOKとなって
おかしいなと、曲がったのかなと手すりを見たら、
溶接が周りしかしてなくて、剥がれる寸前だった。
もう少し遅かったら落下して死んでました。
つい最近まで、寝ていると今までの怖い体験の夢を見て
ワッと起きる事が沢山あった。つい最近まで。
僕もあの頃、お金を持って映画館に来てくれるお客さんの
期待に応えようと危ない事沢山しました。
撮影中に死ねたら役者として本望だなって。
でも、そんな夢を最近まで良く見ていたのも事実です。
あの頃、映画って量産していて、いい加減な内容が多かったですよ。
例えば『渡り鳥シリーズ』ね。
浅岡ルリ子の父親が金子信雄に借金してるわけですよ。
金子信雄の配下の取り立てが強引で、ルリ子が金子のところに入って
「もう少し待ってください」と泣きつく、そうすると金子信雄が
鼻の下長くして「お前が俺の言う事聞けば無かった事にとてやる」と
ルリ子に抱きつく。ルリ子は必死に抵抗する。すると遠くから
♪赤い夕陽よ燃えおちて ♪と音楽が流れて俺が登場するんですよ。
金子は配下を呼んで殺せと言う、しかし配下の奴ら、俺の歌が
終わるまで構えたまま歌い終わるのを待っている。
歌い終わると喧嘩のシーン 有り得ないですよね。
時代が良かった。地方にロケに行くと、祭りの季節でも無いのに
祭保存会、地元の方が協力して盛大に祭りを開催してくれて
人が集まり過ぎて商店街のアーケードが壊れたり
沢山ご迷惑おかけしましたが、皆さんに支えられてここまで来れました。
心より御礼申し上げます。」
勿論大歓声と拍手喝さい。
「しかしね、俺はどうしても納得できなかったのが
日活の社長の方針。裕次郎には映画の中で恋をさせろ。
だからいつも裕次郎の映画の最後、マコちゃんとか出てきて
♪夜霧よ 今夜も ありがとう♪ 女と抱きあう。
しかしだ、旭には恋をさせるなですよ。
いつもルリ子に『さよなら 元気で』て馬に乗って去っていく。
俺も映画の中でルリ子抱きたかったよ。勿体無いことしたよな」
浅岡ルリ子さんは石原裕次郎に憧れ、日活に入社。
しかし、裕次郎には北原三枝という恋人が居る事をしって愕然とする。
その直後に共演した小林旭と恋に落ち、ルリ子の初体験は
旭さんだったのは有名。
その後、会社に交際を止める様言われ、旭さんは
山口組三代目の田岡組長に「ひばりと結婚してやってくれ」との申し出に
日本一の親分にそこまで言われたのならと快諾し
ひばりさんと結婚。ルリ子さんは有名監督との不倫などの後
石坂浩二さんと結婚。共に後に離婚しています。
秋には50年ぶりにこの「夢コンサート」で共演するそうです。
その後「民謡メドレー」「昔の名前で出ています」
そして最後に「熱き心に」を熱唱し、出演者全員が
ステージに登場。旭さんが一人一人出演者に感想を聞いて
予定より50分遅い16時20分にコンサートは終了。
感動と笑い 熱唱 これぞエンターティナーと言うべき
ショーの醍醐味を心ゆくまで堪能させていただきました。
最後の旭さんと松方さんのツーショット。
東映映画「実録外電・大阪電撃作戦」を思い出しました。
またまた たまたま 金玉のように光輝く記事ではなく
私の記憶を基に再構成させていただきましたが
内容には間違いないと確信しております。
最後まで読んでくださった 貴方!貴方こそ
月影の一番の読者様であります。感謝!!
完