昨年の秋、作詞家の「ハル・デヴィッド」が91歳で亡くなッた時から
温めていた記事をやっと完成する事ができそうです。
ハル・デヴィッドの詩に、多くの素晴らしいメロディを付け
{本当はメロディーが先に出来ていたのだが}
世界中に無数のヒット曲を生みだし、日本の多くの作曲家にこれほど
影響力を与えた人は居ないと思われる作曲家「バート・バカラック」
「ルパン三世」のテーマ曲等でお馴染みの「大野雄二」さんは
ジャズ・ピアニストから作曲家に重点を置く様になった時
「もう私の中ではバカラックしか無かった。ロックもジャズも全てが
古い物にしか感じなかった」という彼からの影響が凄かった事を
語っています。鈴木邦彦 村井邦彦 いずみたく その当時の
日本の作曲家に与えた影響力も計り知れない物が有りました。
ハル・デヴィッド&バート・バカラックの名前を知らない人でも
この2曲を聴けば大概の方が「ああ この曲 知っている」と思うでしょ。
カーペンターズが歌ってヒットした「遥かなる影」は1970年
アメリカで4週連続1位を記録。
カーペンターズの出世作でもあります。
B.J.トーマスの「雨にぬれても」は映画「明日に向かって撃て」の
主題歌としても有名で、こちらも1970年に4週連続1位を記録し
「アカデミー主題歌賞」を受賞しています。
二人のヒット曲は無数にあり、クラミー賞等の受賞歴を列挙していたら
切りが無いほど、そこで二人の華々しい活動の黄金期とも言える
1960年代を中心に簡潔にまとめたいと思います。
本国のビーチ・ボーイズや英国のビートルズなどの歌って演奏して
曲も自分達で作ると言うオリジナルスタイルが確立され
その後、シンガーソングライター等が登場する以前の
音楽界は、歌手、プロデューサーが「音楽出版社」から
デモテープを貰い、気に入った曲を権利を買って
録音すると言うのが常識でした。
キャロル・キング&ジェリー・ゴフィンを筆頭に
ジェフ・バリー エリー・グリニッジ バリー・マン&シンシア・ワイル等
彼らは一つのビルの中に事務所を置いて活動し
そのビルは「ブリル・ビルディング」と称され、ヒット曲製造工場として
毎日多くの音楽関係者が出入りし、活気にあふれていました。
ハル・デヴィッド&バート・バカラックも既に多くのヒット曲を
世に送り出しており、ビートルズもデビューアルバムで
シュレルズの1962年のヒット曲「ベイビー・イッツ・ユー」をカバーしているほど
{この曲の作詞はマック・デイヴィッドでハル・デヴィッドではないが}
人気ソングライターチームとして、業界でも一目置かれていました。
彼らの1960年代中ごろの曲で最も好きなのが
イギリスの「ジャッキー・デ・シャノン」の歌った『世界は夜明けを待っている』
です。ジャッキーは即に「サーチャーズ」が歌ってヒットした『ウォーク・イン・ザ・
ルーム』や後にキム・カーンズがアレンジを変えて大ヒットさせた
『ベティ・ディヴィスの瞳」の作者として有名ですが
この曲はデヴィッド&バカラックの秘蔵子として後に紹介する
ディオンヌ・ワーウィックがレコーディングを拒否して
彼女が偶然に歌う事になり、全米でも7位を記録する
大ヒットなっています。因みに彼女は一時、ジミー・ペイジの恋人でもありました。
英国の女性シンガーで、残念ながら1999年、乳癌で59歳の若さで
亡くなった「ダスティ・スプリングフィールド」もデヴィッド&バカラックの
作品を歌い『I Just Don't Know What To Do With Myself』と
この『The Look Of Love』を歌い、共にヒットさせています。
深くコクのある歌唱 紛れもなく私が一番好きな英国の女性シンガーです。
デヴィッド&バカラックを語る上で欠かせない女性歌手が居ます。
「ディオンヌ・ワーウィック」
昨年惜しくも他界した歌姫「ホイットニー・ヒューストン」の従姉妹としても
有名です。
「黒いダイヤモンド」とも呼ばれ、多くのデヴィッド&バカラックを歌い
『サンホセへの道』ではグラミー賞を受賞しています。
元々ディオンヌはデヴィッド&バカラックの作った歌のデモ・テープの
歌手として、所謂裏方の仕事をしていました。
そこに、当時新興レコード会社として設立間もなかった
「セプター・レコード」の女性社長「フローレンス・グリーンバーグ」に
気に入られ、正式に本格的な歌手としてデビュー。
ディオンヌも毎日裏方の仕事ばかりに我慢が出来ず
二人に「ドント・メイク・ミー・オヴァー(こんなことで終わらせないで)」と
激怒してしまい、二人は同名の曲を作り、ディオンヌにプレゼントしています。
出すデヴィッド&バカラックの作品どれもが大ヒットを記録し
黄金のトリオとも言われました。
無数のヒット曲があるが、極めつけと言えるのが
『アルフィー』と『小さな願い』です。
英国の女性シンガー「シラ・ブラック」がバート・バカラックと
ビートルズのプロデューサー「ジョージ・マーティーン」と
3人でアルバムを作ったが、英国では本家ディオンヌより
シラのバージョンが常にヒットし、ディオンヌが激怒しているという
話しにジョージは常時、心中穏やかではなかったと自伝で述べています。
アメリカの音楽産業の黄金期を築いた二人でしたが、
70年代に入るとコンビを解消します。
先にバカラックのメロディーが出来ていて、そこにデヴィッドが
詩を付けると言う作業で多くのヒット曲を生み出した二人。
デヴッドは「曲というのは、3-4分で語られるちょっとした
映画のようでなければならない。
可能な限りシンプルに語る。それがもっとも難しいことなのだが」と語っています。
バカラックはその後、歌手としても来日し、日本武道館で
コンサートを行い、エルビス・コステロ等の新進ロック系シンガーと
共作を試みていますが、デヴッドと作りだした往年の輝きが
あまり感じられない様な作品が多く、やはりこの二人有っての
バカラックメロディーが有ったのだと痛感する事が多いのも事実です。
近年、バカラックメロディーで最も有名な曲がこれでしょう。
『That's What Friends Are For』邦題「愛のハーモニー」
バカラックが2番目の奥さんで作詞家の「キャロル・ベイヤー・セイガー」
{後に離婚}と共作した曲で、元々は「ロッド・スチュアート」の
82年の映画主題歌の中の一曲でしたが、85年にディオンヌ&フレンズとして
ディオンヌ・ワーウィック・エルトン・ジョン・グラディス・ナイト
そしてスティーヴィー・ワンダーの豪華すぎる共演で録音。
当時社会的に問題となり始めた(エイズ撲滅基金)の為の
チャリティーソングとして発売。4週連続1位を記録し
年間シングルチャートの1位の大ヒットとなりました。
他に「クリストファー・クロス」の歌ったこの曲も
バカラックの作品です。
日本では1990年代後半、「渋谷系」と呼ばれる若者のクラブ
ムーブメントの中で多くのミュージシャンがバカラックの
トリビュート・アルバムを発売したり貴重なアナログ盤をクラブで
DJがプレイしたりとバカラックの再評価が高まりました。
その中で、日本ではいち早くバカラック作品集をコーラスで発売したのが
デューク・エイセスです。
昭和48年発売のこのアルバム、谷リーダー曰く「企画が時代より
一歩先に行きすぎていあまり売れなかった」と仰っていましたが
未CDでして、オークションで出品されると、18000円近くの
高額価格で落札されるレア盤なんです。
アレンジをギタリストの故・横内章次さんが手がけ
コーラスアレンジを谷リーダーが受け持っています。
今回は「ネスカフェ・ゴールドブレンド」の♪ダバダァ♪でお馴染み
スキャットの女王としても有名な「伊集加代」さんを
迎えて全篇スキャットコーラスの『サウス・アメリカン・ゲッタウエイ』を
アップさせてもらいました。問題があった場合は削除させていただきます。
お早めにお聴きください。
オリジナルマスターから最新デジタルリマスター音源を使用しております。
この他にも莫大なヒット曲を二人は残しています。
バカラックは83歳。21世紀にも残るスタンダードを
もう一度作ってほしいと願いを込めて そしてデヴィッドの冥福を祈り・・・・
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
温めていた記事をやっと完成する事ができそうです。
ハル・デヴィッドの詩に、多くの素晴らしいメロディを付け
{本当はメロディーが先に出来ていたのだが}
世界中に無数のヒット曲を生みだし、日本の多くの作曲家にこれほど
影響力を与えた人は居ないと思われる作曲家「バート・バカラック」
「ルパン三世」のテーマ曲等でお馴染みの「大野雄二」さんは
ジャズ・ピアニストから作曲家に重点を置く様になった時
「もう私の中ではバカラックしか無かった。ロックもジャズも全てが
古い物にしか感じなかった」という彼からの影響が凄かった事を
語っています。鈴木邦彦 村井邦彦 いずみたく その当時の
日本の作曲家に与えた影響力も計り知れない物が有りました。
ハル・デヴィッド&バート・バカラックの名前を知らない人でも
この2曲を聴けば大概の方が「ああ この曲 知っている」と思うでしょ。
カーペンターズが歌ってヒットした「遥かなる影」は1970年
アメリカで4週連続1位を記録。
カーペンターズの出世作でもあります。
B.J.トーマスの「雨にぬれても」は映画「明日に向かって撃て」の
主題歌としても有名で、こちらも1970年に4週連続1位を記録し
「アカデミー主題歌賞」を受賞しています。
二人のヒット曲は無数にあり、クラミー賞等の受賞歴を列挙していたら
切りが無いほど、そこで二人の華々しい活動の黄金期とも言える
1960年代を中心に簡潔にまとめたいと思います。
本国のビーチ・ボーイズや英国のビートルズなどの歌って演奏して
曲も自分達で作ると言うオリジナルスタイルが確立され
その後、シンガーソングライター等が登場する以前の
音楽界は、歌手、プロデューサーが「音楽出版社」から
デモテープを貰い、気に入った曲を権利を買って
録音すると言うのが常識でした。
キャロル・キング&ジェリー・ゴフィンを筆頭に
ジェフ・バリー エリー・グリニッジ バリー・マン&シンシア・ワイル等
彼らは一つのビルの中に事務所を置いて活動し
そのビルは「ブリル・ビルディング」と称され、ヒット曲製造工場として
毎日多くの音楽関係者が出入りし、活気にあふれていました。
ハル・デヴィッド&バート・バカラックも既に多くのヒット曲を
世に送り出しており、ビートルズもデビューアルバムで
シュレルズの1962年のヒット曲「ベイビー・イッツ・ユー」をカバーしているほど
{この曲の作詞はマック・デイヴィッドでハル・デヴィッドではないが}
人気ソングライターチームとして、業界でも一目置かれていました。
彼らの1960年代中ごろの曲で最も好きなのが
イギリスの「ジャッキー・デ・シャノン」の歌った『世界は夜明けを待っている』
です。ジャッキーは即に「サーチャーズ」が歌ってヒットした『ウォーク・イン・ザ・
ルーム』や後にキム・カーンズがアレンジを変えて大ヒットさせた
『ベティ・ディヴィスの瞳」の作者として有名ですが
この曲はデヴィッド&バカラックの秘蔵子として後に紹介する
ディオンヌ・ワーウィックがレコーディングを拒否して
彼女が偶然に歌う事になり、全米でも7位を記録する
大ヒットなっています。因みに彼女は一時、ジミー・ペイジの恋人でもありました。
英国の女性シンガーで、残念ながら1999年、乳癌で59歳の若さで
亡くなった「ダスティ・スプリングフィールド」もデヴィッド&バカラックの
作品を歌い『I Just Don't Know What To Do With Myself』と
この『The Look Of Love』を歌い、共にヒットさせています。
深くコクのある歌唱 紛れもなく私が一番好きな英国の女性シンガーです。
デヴィッド&バカラックを語る上で欠かせない女性歌手が居ます。
「ディオンヌ・ワーウィック」
昨年惜しくも他界した歌姫「ホイットニー・ヒューストン」の従姉妹としても
有名です。
「黒いダイヤモンド」とも呼ばれ、多くのデヴィッド&バカラックを歌い
『サンホセへの道』ではグラミー賞を受賞しています。
元々ディオンヌはデヴィッド&バカラックの作った歌のデモ・テープの
歌手として、所謂裏方の仕事をしていました。
そこに、当時新興レコード会社として設立間もなかった
「セプター・レコード」の女性社長「フローレンス・グリーンバーグ」に
気に入られ、正式に本格的な歌手としてデビュー。
ディオンヌも毎日裏方の仕事ばかりに我慢が出来ず
二人に「ドント・メイク・ミー・オヴァー(こんなことで終わらせないで)」と
激怒してしまい、二人は同名の曲を作り、ディオンヌにプレゼントしています。
出すデヴィッド&バカラックの作品どれもが大ヒットを記録し
黄金のトリオとも言われました。
無数のヒット曲があるが、極めつけと言えるのが
『アルフィー』と『小さな願い』です。
英国の女性シンガー「シラ・ブラック」がバート・バカラックと
ビートルズのプロデューサー「ジョージ・マーティーン」と
3人でアルバムを作ったが、英国では本家ディオンヌより
シラのバージョンが常にヒットし、ディオンヌが激怒しているという
話しにジョージは常時、心中穏やかではなかったと自伝で述べています。
アメリカの音楽産業の黄金期を築いた二人でしたが、
70年代に入るとコンビを解消します。
先にバカラックのメロディーが出来ていて、そこにデヴィッドが
詩を付けると言う作業で多くのヒット曲を生み出した二人。
デヴッドは「曲というのは、3-4分で語られるちょっとした
映画のようでなければならない。
可能な限りシンプルに語る。それがもっとも難しいことなのだが」と語っています。
バカラックはその後、歌手としても来日し、日本武道館で
コンサートを行い、エルビス・コステロ等の新進ロック系シンガーと
共作を試みていますが、デヴッドと作りだした往年の輝きが
あまり感じられない様な作品が多く、やはりこの二人有っての
バカラックメロディーが有ったのだと痛感する事が多いのも事実です。
近年、バカラックメロディーで最も有名な曲がこれでしょう。
『That's What Friends Are For』邦題「愛のハーモニー」
バカラックが2番目の奥さんで作詞家の「キャロル・ベイヤー・セイガー」
{後に離婚}と共作した曲で、元々は「ロッド・スチュアート」の
82年の映画主題歌の中の一曲でしたが、85年にディオンヌ&フレンズとして
ディオンヌ・ワーウィック・エルトン・ジョン・グラディス・ナイト
そしてスティーヴィー・ワンダーの豪華すぎる共演で録音。
当時社会的に問題となり始めた(エイズ撲滅基金)の為の
チャリティーソングとして発売。4週連続1位を記録し
年間シングルチャートの1位の大ヒットとなりました。
他に「クリストファー・クロス」の歌ったこの曲も
バカラックの作品です。
日本では1990年代後半、「渋谷系」と呼ばれる若者のクラブ
ムーブメントの中で多くのミュージシャンがバカラックの
トリビュート・アルバムを発売したり貴重なアナログ盤をクラブで
DJがプレイしたりとバカラックの再評価が高まりました。
その中で、日本ではいち早くバカラック作品集をコーラスで発売したのが
デューク・エイセスです。
昭和48年発売のこのアルバム、谷リーダー曰く「企画が時代より
一歩先に行きすぎていあまり売れなかった」と仰っていましたが
未CDでして、オークションで出品されると、18000円近くの
高額価格で落札されるレア盤なんです。
アレンジをギタリストの故・横内章次さんが手がけ
コーラスアレンジを谷リーダーが受け持っています。
今回は「ネスカフェ・ゴールドブレンド」の♪ダバダァ♪でお馴染み
スキャットの女王としても有名な「伊集加代」さんを
迎えて全篇スキャットコーラスの『サウス・アメリカン・ゲッタウエイ』を
アップさせてもらいました。問題があった場合は削除させていただきます。
お早めにお聴きください。
オリジナルマスターから最新デジタルリマスター音源を使用しております。
この他にも莫大なヒット曲を二人は残しています。
バカラックは83歳。21世紀にも残るスタンダードを
もう一度作ってほしいと願いを込めて そしてデヴィッドの冥福を祈り・・・・
最後までお読みいただき、ありがとうございました。