ベルーガ先輩の長岡市王手通りの「酒小屋」の記事を拝見したら
懐かしくて涙が出て来た。
あの付近に長岡の叔父さんの家が有って、両親が用事が有って
出かけると、母方の実家の見附市今町の本家か、本家の弟の
長岡の叔父の家に預けられる事が多かった。
見附の方にはロック大好きな従姉弟が居て、いろんなレコードを
聴かせてもらい退屈する事は無かったが、
長岡の叔父の家には娘さんが二人で、年も離れていて
一緒に遊んだ記憶が無く、大手通り、すずらん通り近辺で
叔母さんと買いものに行ったり、外で弟と遊んだりしていた。
その時は風景と現在の大手通りはすっかり様変わりしたと思うのだが
「酒小屋」近辺はあの頃の記憶している情景そのものだった。
長岡の叔父の家に行くと目に付いたのが「スバル360」
この車、昭和54年頃でも叔父は大切に乗っていた。
古くて 小さくて 狭くて 煩くて 遅い
なんとなく嫌なイメージだったこの車。
叔父が「もう20年経つからそろそろ新しい車に買い替えようかと」
そうしたら親父が「兄さん だったら俺に譲ってくれ」と
頼んでいたが、正直 「こんな車 恥ずかしいから嫌だな」
とにかくエンジンの音が煩くて、親父に言ったら
「昔の車は皆こうだった お父さんが二番目に買った
マツダのキャロルもこんなだった」と話していたのを覚えている。
戦後日本のモータリゼーションを牽引したのは
間違いなくこの「スバル360」だった。
ルーツはプリンスと同じ、旧・財閥の「旧・中島飛行機」
戦後、GHQiによって解体させられたが
その高い技術力は「プリンス」「富士重工業」と別れ
一方のプリンスは高級路線、一方富士重工業はその高い
技術で小さく価格も手ごろな「360」を発売。
またたく間に大ヒットを記録した。
モチーフとなった「ワーゲン」がビートル カブト虫とニックネームが
付いたように、こちらには「てんとう虫」という名前をイメージとして
宣伝し、空車重量385kg、エンジン出力16PS、最高速度83km/h
4人乗り 390,000円で販売を開始した。
因みに顧客第一号は松下電器創業者 松下幸之助てあった。
また、創業当初の「京セラ」の念願の社用車第一号でもあった。
全 長
2,995 mm
全 高
1,360 mm
全 巾
1,300 mm
昭和40年には「スバルマチック」の2速ATも設定。
以降、昭和45年に生産中止となるまで12年間で
約39万2,000台が生産された。
航空機エンジンの技術力を遺憾なく発揮した
強制空冷2サイクル直列2気筒エンジン。
強制空冷式は、エンジンの回転があがるにつれて冷却効率が高まるため
登り坂でのオーバーヒートも回避した。
長岡の叔父は高齢に伴って、司法書士の仕事を辞め
見附に新築して引っ越したらしい。
その後 スバル360がどのようになったのかは解らない。
最後に会った時は「サニーに乗っていると」と聞いたのだが・・・・・
スバルもトヨタの傘下に入った。
今後、プリンスが辿った道だけは回避して、
スバルらしい個性あふれる魅力的な車を作ってほしい。
この360 たまに朝、小須戸のコンビニで見かけます。
懐かしくて涙が出て来た。
あの付近に長岡の叔父さんの家が有って、両親が用事が有って
出かけると、母方の実家の見附市今町の本家か、本家の弟の
長岡の叔父の家に預けられる事が多かった。
見附の方にはロック大好きな従姉弟が居て、いろんなレコードを
聴かせてもらい退屈する事は無かったが、
長岡の叔父の家には娘さんが二人で、年も離れていて
一緒に遊んだ記憶が無く、大手通り、すずらん通り近辺で
叔母さんと買いものに行ったり、外で弟と遊んだりしていた。
その時は風景と現在の大手通りはすっかり様変わりしたと思うのだが
「酒小屋」近辺はあの頃の記憶している情景そのものだった。
長岡の叔父の家に行くと目に付いたのが「スバル360」
この車、昭和54年頃でも叔父は大切に乗っていた。
古くて 小さくて 狭くて 煩くて 遅い
なんとなく嫌なイメージだったこの車。
叔父が「もう20年経つからそろそろ新しい車に買い替えようかと」
そうしたら親父が「兄さん だったら俺に譲ってくれ」と
頼んでいたが、正直 「こんな車 恥ずかしいから嫌だな」
とにかくエンジンの音が煩くて、親父に言ったら
「昔の車は皆こうだった お父さんが二番目に買った
マツダのキャロルもこんなだった」と話していたのを覚えている。
戦後日本のモータリゼーションを牽引したのは
間違いなくこの「スバル360」だった。
ルーツはプリンスと同じ、旧・財閥の「旧・中島飛行機」
戦後、GHQiによって解体させられたが
その高い技術力は「プリンス」「富士重工業」と別れ
一方のプリンスは高級路線、一方富士重工業はその高い
技術で小さく価格も手ごろな「360」を発売。
またたく間に大ヒットを記録した。
モチーフとなった「ワーゲン」がビートル カブト虫とニックネームが
付いたように、こちらには「てんとう虫」という名前をイメージとして
宣伝し、空車重量385kg、エンジン出力16PS、最高速度83km/h
4人乗り 390,000円で販売を開始した。
因みに顧客第一号は松下電器創業者 松下幸之助てあった。
また、創業当初の「京セラ」の念願の社用車第一号でもあった。
全 長
2,995 mm
全 高
1,360 mm
全 巾
1,300 mm
昭和40年には「スバルマチック」の2速ATも設定。
以降、昭和45年に生産中止となるまで12年間で
約39万2,000台が生産された。
航空機エンジンの技術力を遺憾なく発揮した
強制空冷2サイクル直列2気筒エンジン。
強制空冷式は、エンジンの回転があがるにつれて冷却効率が高まるため
登り坂でのオーバーヒートも回避した。
長岡の叔父は高齢に伴って、司法書士の仕事を辞め
見附に新築して引っ越したらしい。
その後 スバル360がどのようになったのかは解らない。
最後に会った時は「サニーに乗っていると」と聞いたのだが・・・・・
スバルもトヨタの傘下に入った。
今後、プリンスが辿った道だけは回避して、
スバルらしい個性あふれる魅力的な車を作ってほしい。
この360 たまに朝、小須戸のコンビニで見かけます。