当時の「ミュージック・ライフ」誌より
1964年、アメリカでビートルズ旋風が吹き荒れると、
イギリス勢は「後に続け 追い越せ」とレコード会社と一緒に
グループの売り込み攻勢をかける。
それは「ブリティシュ・インベイジョン」と呼ばれる事になる
アメリカでの新しい音楽の波がイギリスから押し寄せて来た。
ビートルズ最大のライバルはローリング・ストーンズ
彼ら同士は仲が良く、確かにマスコミの格好の対象ネタになった。
「優等生のビートルズ 不良のローリング・ストーンズ」
実際は真逆なのだが・・・・・・
当時のローリング・ストーンズにとって音楽的ライバルは
むしろ、ニューキャスル出身の「ジ・アニマルズ」である。
同じ5人組みだが、アニマルズはギター一本。その代わりに
アラン・プライズが奏でる鮮烈なオルガンが印象の
「朝日のあたる家」が日本でも大ヒットを記録して
65年6月には来日もしている。
当時公演の模様はTBSが中継した位、日本ではストーンズより
アニマルズの人気が先行していた。
ルーツとしてどちらも黒人のR&B ブルース
チャック・ベリーのR&Rをルーツとしていた。
アメリカでは黒人の音楽は黒人しか聴かないと言う
一種の差別感覚が残っていたが、イギリスにはそのような
差別観は少なく、黒人の音楽に憧れ、自分の物にしようとした。
逆にストーンズ・アニマルズがカバーする黒人ブルースで
初めて母国の黒人音楽に接したアメリカ人は少なくない。
功労者なのである。
同じカバー曲でも、グループによって個性が違う。
それは編成により、オルガンが入るか入らないかでも
大きく変わるが、二つのグループの持っていた個性が
音として顕著に表れているのが面白い。
曲はラリー・ウィリアムズの歌った「 She Said Yeah」
ストーンズのバージョンはアメリカ編集盤「December's Children」
アニマルズは日本の東芝盤「アニマルズ登場」に収録されています。
音は演奏はレコード同一で生でミックが歌っている。
リーダーのブライアンが殆ど映らないのは何故?
アニマルズはこの後、アラン・プライスが他のメンバー
特にボーカルのエリック・バードンと対立し脱退。
そのバードンも他のメンバーと対立し、66年解散。
エリックはメンバー入れ替えて
「エリック・バードン&ジ・アニマルズ」と改名し、
60年代後期まで高い人気を誇った。
1983年にオリジナルメンバーで再結成し、来日して
小林克也氏が司会をするアイドルのベストテン番組に生出演。
偶然にも私も見る事が出来ました。
再結成コンサートを中野サンプラザで見た、故・鈴木ヒロミツさんは
「お客さんが半分も居なくてね 寂しい会場だったけれど
彼らの演奏は往年の時の様に素晴らしくて、本当に感激しました」
ヒロミツさんの最大のヒーローはエリックでした。
ローリング・ストーンズの初代リーダーの故・ブライアン・ジョーンズの元から
キース・リチャーズに乗り換え、ブライアンを精神的に追い込んだ
魔性の女{ストーンズ番 パティ・ボイド}アニタ・パレンバーグが
アメリカで見た凄い黒人のギタリストの話しキースに話した。
キースはアニマルズ解散後、プロデューサに転向していた
アニマルズの元ベーシスト 故・チャス・チャンドラーに
その話しを教え、早速アメリカに飛び、スカウトしてきたのがあの
「ジミ・ヘンドリックス」!!同時にドラムの「ミッチェ・ミッチェル」
ドラムの「ノエル・レディング」(共に故人)をスカウトし
『ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス』でデビューさせ
ファースト・セカンドアルバムのプロデュース、
マネジャーを務めた。ジミをエリック・クラブトンに
紹介したのもチャスであった。
両グループ共通のエビソートどして興味深い話しである。
イギリス勢は「後に続け 追い越せ」とレコード会社と一緒に
グループの売り込み攻勢をかける。
それは「ブリティシュ・インベイジョン」と呼ばれる事になる
アメリカでの新しい音楽の波がイギリスから押し寄せて来た。
ビートルズ最大のライバルはローリング・ストーンズ
彼ら同士は仲が良く、確かにマスコミの格好の対象ネタになった。
「優等生のビートルズ 不良のローリング・ストーンズ」
実際は真逆なのだが・・・・・・
当時のローリング・ストーンズにとって音楽的ライバルは
むしろ、ニューキャスル出身の「ジ・アニマルズ」である。
同じ5人組みだが、アニマルズはギター一本。その代わりに
アラン・プライズが奏でる鮮烈なオルガンが印象の
「朝日のあたる家」が日本でも大ヒットを記録して
65年6月には来日もしている。
当時公演の模様はTBSが中継した位、日本ではストーンズより
アニマルズの人気が先行していた。
ルーツとしてどちらも黒人のR&B ブルース
チャック・ベリーのR&Rをルーツとしていた。
アメリカでは黒人の音楽は黒人しか聴かないと言う
一種の差別感覚が残っていたが、イギリスにはそのような
差別観は少なく、黒人の音楽に憧れ、自分の物にしようとした。
逆にストーンズ・アニマルズがカバーする黒人ブルースで
初めて母国の黒人音楽に接したアメリカ人は少なくない。
功労者なのである。
同じカバー曲でも、グループによって個性が違う。
それは編成により、オルガンが入るか入らないかでも
大きく変わるが、二つのグループの持っていた個性が
音として顕著に表れているのが面白い。
曲はラリー・ウィリアムズの歌った「 She Said Yeah」
ストーンズのバージョンはアメリカ編集盤「December's Children」
アニマルズは日本の東芝盤「アニマルズ登場」に収録されています。
音は演奏はレコード同一で生でミックが歌っている。
リーダーのブライアンが殆ど映らないのは何故?
アニマルズはこの後、アラン・プライスが他のメンバー
特にボーカルのエリック・バードンと対立し脱退。
そのバードンも他のメンバーと対立し、66年解散。
エリックはメンバー入れ替えて
「エリック・バードン&ジ・アニマルズ」と改名し、
60年代後期まで高い人気を誇った。
1983年にオリジナルメンバーで再結成し、来日して
小林克也氏が司会をするアイドルのベストテン番組に生出演。
偶然にも私も見る事が出来ました。
再結成コンサートを中野サンプラザで見た、故・鈴木ヒロミツさんは
「お客さんが半分も居なくてね 寂しい会場だったけれど
彼らの演奏は往年の時の様に素晴らしくて、本当に感激しました」
ヒロミツさんの最大のヒーローはエリックでした。
ローリング・ストーンズの初代リーダーの故・ブライアン・ジョーンズの元から
キース・リチャーズに乗り換え、ブライアンを精神的に追い込んだ
魔性の女{ストーンズ番 パティ・ボイド}アニタ・パレンバーグが
アメリカで見た凄い黒人のギタリストの話しキースに話した。
キースはアニマルズ解散後、プロデューサに転向していた
アニマルズの元ベーシスト 故・チャス・チャンドラーに
その話しを教え、早速アメリカに飛び、スカウトしてきたのがあの
「ジミ・ヘンドリックス」!!同時にドラムの「ミッチェ・ミッチェル」
ドラムの「ノエル・レディング」(共に故人)をスカウトし
『ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス』でデビューさせ
ファースト・セカンドアルバムのプロデュース、
マネジャーを務めた。ジミをエリック・クラブトンに
紹介したのもチャスであった。
両グループ共通のエビソートどして興味深い話しである。