Quantcast
Channel: 月影の宵/IN THE EVENING BY THE MOONLIGHT
Viewing all articles
Browse latest Browse all 331

THE ROLLING STONES VS THE ANIMALS

$
0
0
月影の宵/IN THE EVENING BY THE MOONLIGHT
月影の宵/IN THE EVENING BY THE MOONLIGHT


当時の「ミュージック・ライフ」誌より

1964年、アメリカでビートルズ旋風が吹き荒れると、
イギリス勢は「後に続け 追い越せ」とレコード会社と一緒に
グループの売り込み攻勢をかける。
それは「ブリティシュ・インベイジョン」と呼ばれる事になる
アメリカでの新しい音楽の波がイギリスから押し寄せて来た。

ビートルズ最大のライバルはローリング・ストーンズ
彼ら同士は仲が良く、確かにマスコミの格好の対象ネタになった。

「優等生のビートルズ 不良のローリング・ストーンズ」
実際は真逆なのだが・・・・・・

当時のローリング・ストーンズにとって音楽的ライバルは
むしろ、ニューキャスル出身の「ジ・アニマルズ」である。

同じ5人組みだが、アニマルズはギター一本。その代わりに
アラン・プライズが奏でる鮮烈なオルガンが印象の
「朝日のあたる家」が日本でも大ヒットを記録して
65年6月には来日もしている。
当時公演の模様はTBSが中継した位、日本ではストーンズより
アニマルズの人気が先行していた。

ルーツとしてどちらも黒人のR&B ブルース
チャック・ベリーのR&Rをルーツとしていた。

アメリカでは黒人の音楽は黒人しか聴かないと言う
一種の差別感覚が残っていたが、イギリスにはそのような
差別観は少なく、黒人の音楽に憧れ、自分の物にしようとした。

逆にストーンズ・アニマルズがカバーする黒人ブルースで
初めて母国の黒人音楽に接したアメリカ人は少なくない。
功労者なのである。


月影の宵/IN THE EVENING BY THE MOONLIGHT
月影の宵/IN THE EVENING BY THE MOONLIGHT


同じカバー曲でも、グループによって個性が違う。
それは編成により、オルガンが入るか入らないかでも
大きく変わるが、二つのグループの持っていた個性が
音として顕著に表れているのが面白い。

曲はラリー・ウィリアムズの歌った「 She Said Yeah」
ストーンズのバージョンはアメリカ編集盤「December's Children」
アニマルズは日本の東芝盤「アニマルズ登場」に収録されています。





音は演奏はレコード同一で生でミックが歌っている。
リーダーのブライアンが殆ど映らないのは何故?




アニマルズはこの後、アラン・プライスが他のメンバー
特にボーカルのエリック・バードンと対立し脱退。
そのバードンも他のメンバーと対立し、66年解散。
エリックはメンバー入れ替えて
「エリック・バードン&ジ・アニマルズ」と改名し、
60年代後期まで高い人気を誇った。
1983年にオリジナルメンバーで再結成し、来日して
小林克也氏が司会をするアイドルのベストテン番組に生出演。
偶然にも私も見る事が出来ました。
再結成コンサートを中野サンプラザで見た、故・鈴木ヒロミツさんは
「お客さんが半分も居なくてね 寂しい会場だったけれど
彼らの演奏は往年の時の様に素晴らしくて、本当に感激しました」
ヒロミツさんの最大のヒーローはエリックでした。


ローリング・ストーンズの初代リーダーの故・ブライアン・ジョーンズの元から
キース・リチャーズに乗り換え、ブライアンを精神的に追い込んだ
魔性の女{ストーンズ番 パティ・ボイド}アニタ・パレンバーグが
アメリカで見た凄い黒人のギタリストの話しキースに話した。

キースはアニマルズ解散後、プロデューサに転向していた
アニマルズの元ベーシスト 故・チャス・チャンドラーに
その話しを教え、早速アメリカに飛び、スカウトしてきたのがあの
「ジミ・ヘンドリックス」!!同時にドラムの「ミッチェ・ミッチェル」
ドラムの「ノエル・レディング」(共に故人)をスカウトし
『ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス』でデビューさせ
ファースト・セカンドアルバムのプロデュース、
マネジャーを務めた。ジミをエリック・クラブトンに
紹介したのもチャスであった。
両グループ共通のエビソートどして興味深い話しである。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 331

Trending Articles