加藤和彦さんが自殺した時、私が真っ先に思ったのは
フォーク・クルセダーズ解散後、精神科医に転身された、北山修さんが
どのような気持ちなのか知りたかった。
加藤和彦さんはフォーク・クルセダーズがメジャーデビューする事を頑なに拒んだ。
解散前に200枚の自主制作LP「ハレンチ」収録曲
「帰って来たヨッパライ」が大阪のラジオ番組から火が付き
全レコード会社争奪戦の上、高崎一郎さんとコネクションが強かった
東芝の高嶋ディレクター{高島忠夫の弟、高嶋ちさ子の父}が獲得し
メジャーデビューする際も加藤さんは頑なに拒んだ。
北山さんが「11PMのゲストに呼ばれた、それに出たら解散しよう」と騙して
結局、プロになるのを嫌がった加藤さんが
サディスティック・ミカ・バント等を経て音楽家として大成し
北山さんはあっさり音楽の世界に別れを告げ、精神科医の道に進んだ。
北山さんは、加藤さんが自殺する1週間前にも会っていて、その時加藤さんから
「食べ物も美味しい 皆も優しい 今が一番幸せだ」と言われたそうだ。
「それでも彼は着々と死ぬ準備をしていた。精神科医である私は
それに気付く事が出来なかった。私はその事で自分を戒めている」
加藤さんの死後、自宅を訪れた北山さんは唖然とした。
彼の部屋には北山さんの部屋と同じ、フォーク・クルセダーズが
最初に解散した時の「第1回フォークキャンプコンサート」
出演した際、アンコールで普段着のまま、最後のステージに
立った時の同じ写真が飾られていたという。
「僕が彼を騙してプロの音楽の世界に誘い込んだ。
その僕が音楽を辞めて、彼の人生を変えてしまった。
もし二人がプロになっていなければ、今頃二人で
アルフィーのコンサートでも見に来ていたかもしれない」
「あの素晴らしい愛をもう一度」
北山修&加藤和彦
作詞 北山修 作曲 加藤和彦
フォーク・クルセダーズ解散後、精神科医に転身された、北山修さんが
どのような気持ちなのか知りたかった。
加藤和彦さんはフォーク・クルセダーズがメジャーデビューする事を頑なに拒んだ。
解散前に200枚の自主制作LP「ハレンチ」収録曲
「帰って来たヨッパライ」が大阪のラジオ番組から火が付き
全レコード会社争奪戦の上、高崎一郎さんとコネクションが強かった
東芝の高嶋ディレクター{高島忠夫の弟、高嶋ちさ子の父}が獲得し
メジャーデビューする際も加藤さんは頑なに拒んだ。
北山さんが「11PMのゲストに呼ばれた、それに出たら解散しよう」と騙して
結局、プロになるのを嫌がった加藤さんが
サディスティック・ミカ・バント等を経て音楽家として大成し
北山さんはあっさり音楽の世界に別れを告げ、精神科医の道に進んだ。
北山さんは、加藤さんが自殺する1週間前にも会っていて、その時加藤さんから
「食べ物も美味しい 皆も優しい 今が一番幸せだ」と言われたそうだ。
「それでも彼は着々と死ぬ準備をしていた。精神科医である私は
それに気付く事が出来なかった。私はその事で自分を戒めている」
加藤さんの死後、自宅を訪れた北山さんは唖然とした。
彼の部屋には北山さんの部屋と同じ、フォーク・クルセダーズが
最初に解散した時の「第1回フォークキャンプコンサート」
出演した際、アンコールで普段着のまま、最後のステージに
立った時の同じ写真が飾られていたという。
「僕が彼を騙してプロの音楽の世界に誘い込んだ。
その僕が音楽を辞めて、彼の人生を変えてしまった。
もし二人がプロになっていなければ、今頃二人で
アルフィーのコンサートでも見に来ていたかもしれない」
「あの素晴らしい愛をもう一度」
北山修&加藤和彦
作詞 北山修 作曲 加藤和彦